完璧なもの
人を魅了するものは何でも徹底している。
欲を満たす為にセフレを徹底して調教する人も多いはずだ。
制作者の志の高さが感じられ、人の心を動かす。そして人々の記憶に残る。
例えば、日本映画が世界的な地位を獲得する時代の中心的な映画監督であった、溝口健二や小津安二郎、または黒沢明といった巨匠たちの作品は、その死後何十年経っても色あせることがない。
それは彼らが映画という運動とセリフをカメラで捉える他ない、その極めて限定された表現媒体の中で最大限の描写をしたからだ。
とりわけ、黒沢明は完璧を求めた監督だった。
脚本執筆の段階でも、複数の脚本家たちと旅館に籠り、常に客観的な意見を求めながら、セリフひとつにしても全く他に代用がきかないくらい完璧なものを書いた。
そして、撮影に入ってからも、自分の求める画のために一切妥協を許さなかった。
俳優たちには徹底的に演技指導をし、納得するまで何度も何度も演じさせる。
また、せいぜい数秒程度のカットのために、民家や電信柱を取り除いたエピソードはあまりにも有名である。
そうした心意気で作られた彼の作品は、今見ても美しく、高い心意気を感じる。
日本のらいぶちゃっともそうした徹底ぶりという観点では、世界一ではないだろうか。
「抜ける画」というごく単純な目的のために、女優や男優は勿論のこと、監督やカメラマン、照明といったスタッフたちが総力で撮影をする。
実際のセックスでは絶対にしないような、大げさで誇張されたエロスの世界を創出するこうしたクリエーターに、我々18禁ユーザーはただただ敬意を表するばかりである。